livedooor knowledgeが米YahooのYahoo! Answersをインスパイアした頃に、Bloadband Watchの編集部ブログにそのデザインは誰のもの?というエントリーが登場して話題になりました。
この件に関してLivedoorのどのサービスも利用していないので、結局どうでも良いのですが、この傾向を擁護する立場をとるならば、方々で言われているとおり、ソフト的なインターフェイスは似てしかるべきだという事です。
なぜならば、ソフトウェアには然るべき見た目という物が存在しないからです。カメラなら、シャッターが押しやすく、ファインダーをのぞきやすく、ピントを合わせやすく、フィルムを交換しやすく形づくられ、その制限がある為になぜその形である必要があるのか一目で分かります。基本的にはデジタルカメラになっても、携帯に組み込まれてさえも、少なからずこの体験知を踏襲しています。逆にファインダーとレンズが同じ面についていては、使いにくさも極まって使えた物ではないでしょう<%= fn '自分を自分で撮影するにはとても便利そうですが' %>。だからそんな事は無いはずだと、ユーザーは知らず知らずに正確に使い方を予測する為の情報を得ているのです。
しかし、ソフトウェアのグラフィカルユーザーインターフェイスでは、この制限がほとんどありません<%= fn '故に現実的に紐づけられる物をメタファー(例えばBook型ビューワー)として、制限を取り込む試みが稀に行われますが、決して使い勝手は良くないと思います' %>。そうなると、体験知だけがインターフェイスの必然性になります。ユーザーは自らの体験から、こうあってほしい、こうあるべきだと考え、そうでない場合は体験知が裏切られるのでストレスを感じます。
私も初めてMacOS8に触れたとき、Windowsに慣れていたので、ウィンドウを閉じてもアプリケーションが終了しない事に不満を感じていました<%= fn 'UIは基本的に同じなのに!' %>し、CDを明示的にアンマウント<%= fn 'ショートカットではCommand+eですが、GUI操作だと、マウントしたCDをゴミ箱にドラッグ&ドロップですよ?捨てる発想は無いでしょ。普通。' %>しないと取り出せない事に不便を感じていました<%= fn '自分でトレイを開けなくてもいいので、手間は減っているのにですよ' %>。しかしOSXになった時は、MacOS9の動作を踏襲していたので安心したのを覚えています。
確かに、Livedoorの場合は極端で、Livedoorのブランド力とリーチ力に、全く同じ機能と操作性(場合によってはすばらしいローカライズ)があるなら優位にユーザーを獲得できるだろう+話題作りというのが見えて、なんだかなぁと思う訳ですけどね。でも、普通はそこまでしないから、PICSを初めて見た時は、さすがLivedoorと思いましたよ。