2006/02/20

wikiの自由度は両刃の剣

両刃の剣や諸刃の剣が上手い表現かどうかは怪しいけど、Wikiがいまいち普及しない<%= fn 'ここに異論がある人がいるというのは理解してるつもりだけど、それはまた別の話' %>のは、自由度が高すぎるからでは無いだろうか?何らかのプロジェクト用サイトや、マニュアル、LAN内という対象が極端に狭い利用法を除くと、Wikipediaぐらいしか本当の意味で一般的なWikiは今の所存在しないように思う。
なぜ普及しないのかと言えば、誰もテキストを記述しない事と、自由度が高すぎる事と、記法が面倒という事。これは誰でもテキストを編集できて、記述の自由度が高く、記法が便利という、Wikiの利点と合致する。
また、記法について統一したほうが良いのではという考えは支持できるけど、もっと洗練する事も忘れてはいけないと思う。
こういった事を考えていたら、なんかXMLと似てると思った。かなり強引だけど、この例に習えば、時期がきてキラーアプリケーションが登場すれば、Wikiへの認識が高まり普及するのでは無いかと思える。
そういう意味では、wikipediaがニッチすぎて波及効果が全くないというのは、ちょっと残念。

[web] FrameWorkは作るなという話は真実ですか?
全部が全部という話ではないけど、FrameWorkを自作するなとよく言われる。個人的にはちょっとしたツールやサービスを作る場合は、FrameWorkから自作するというのは、時間がもったいないし、信頼性もある程度担保されるんだから、既存のFrameWorkを使うのがオススメだよ程度の認識で理解していた。
冒頭で前置きしたように、これは全部が全部ではないと言われている。しかし、少なくともWEB系に関しては、まともにウェブサービスとして、エンタープライズレベルで行うのなら、ほとんどの場合<%= fn 'こちらも全部が全部では無いんだけど' %>、少なくともコアの部分は自作し、各種ライブラリ等で補強するべきだと思う。
この点が正しいかどうかという事に置いては、実は私はどうでも良いと思っている。ただ、一般的に良く言われているなんて事を論拠に、FrameWorkは自作すべきでないなんて言う事を言われると、ちょっと悔しい。
例えばライブラリのような機能を局所化する類の物だと、車輪の再発名になるのは容易に想像がつくんだけど、フレームワークのように大枠で、尚かつ制限を加えるような物は、どうしたって向き不向きがあるし、案件によってはいかにも不自然な事になると思う。
それに加えて、FreamWork自体が自分の意図には関係なく、もりもり変わっていく可能性が全然有りなんて悪夢でしか無いと思うのだが、実際に既存のフレームワークを導入してる現場はどうなんだろう?

[book] スターバックスコーヒー―豆と、人と、心と。
the brandingシリーズという事で、これもブランディングの本です。
ブランディングの本というのは、形や構築方法の定石が見えにくいので、どうしても信念を語りつづけるという表現になってしまうようで、前半のスターバックスの創業や、業態変更あたりまでは読めたのですが、それ以降はブランディングが広報とまぜこぜになったような内容で、読んでいるのが苦痛でした。
その結果内容の薄い本となってしまっていています。
ブランディングの難しさは表現のしようの無さからくる物なんだろうなぁという事を感じましたし、それゆえに主張のあるブランドというのは価値があるんだと実感しました。
機会があれば、ブランド以外の切り口でスターバックスの話を読んでみたいですね。
スターバックスコーヒー―豆と、人と、心と。